(1279〜1368年)
チンギスハーンの死後、その後を継いだオゴタイは1234年,中国の華北地域を支配していた「金」を滅す。1236年にはヨーロッパ遠征を行い、支配地域を拡大した。
1260年、フビライは国号を
「元」とあらため、中国華南地域の国家「南宋」を征服、中国全域を版図に加え、北京の地に新しい帝都「大都」を建設する。
その後半世紀以上にわたって安定するが、ユーラシアにおこった天変地異によりモンゴル帝国は弱体化してゆく。 モンゴル帝国には占領地を各王族に分封していく制度(汗国)の連合国家であったが、汗国間で対立が生じ、徐々に帝国が解体していった。また、中国各地で反乱が相次ぎ、1368年、
「明」の太祖となる朱元璋が中国華南地域を統一し、その軍隊が大都に向け北上すると、「元」の順帝(トゴンテムル)はモンゴル高原に難を避け、モンゴルによる中国支配の時代は終わりを告げる。
元・至大通宝
1308年始鋳
元・大元通宝
1308年始鋳
元・至正通宝
当十 1341年始鋳
元・至正通宝
当五 1341年始鋳
元・至正通宝
折二 1341年始鋳
大義通宝(元叛徒銭)
漢 陳友諒
大義年間(1361年頃)
元末、各地で蜂起した反乱軍の一人であった朱元璋は、次第に頭角を現し、張士誠陳友諒などの群雄を倒し中国南部を平定すると皇帝を名乗り、
年号を洪武とし明王朝を開く。
洪武帝(朱元璋)は、モンゴル文化を排除し中華文化を復活させ元軍を北の地に追いやる。
その後 四川、雲南、甘粛を平定し中国全土の統一を成し遂げ、後を継いだ洪武帝の長男
建文帝は、強大な藩王らの勢力削減策を強行してゆく。
しかし、それに反発した燕王(洪武帝の4男)は、功臣なく弱体化した建文帝軍を撃破、南京を攻略し皇位を勝ち取り
永楽帝として即位する。
永楽帝は、都を南京から北京に遷する。 日本は明と
勘合貿易はじめ多くの明銭が国内に流入をした。
大中通宝
重点通

1361年始鋳
大中通宝
単点通

1361年始鋳
永楽通宝
1403年始鋳
永楽通宝
1403年始鋳
宣徳通宝
1433年始鋳
洪武通宝
背福
1368年始鋳
洪武通宝
背北平
1368年始鋳
崇禎通宝
背貴

1628年始鋳
崇禎通宝
背星

1628年始鋳
崇禎通宝
背戸さんずい付

1628年始鋳
崇禎通宝
背下戸

1628年始鋳
天啓通宝
1621年始鋳
天啓通宝
1621年始鋳
天啓通宝
1621年始鋳
泰昌通宝
1621年始鋳
嘉靖通宝
1528年始鋳
隆慶通宝
1570年始鋳
弘光通宝
1645年始鋳
弘光通宝
1645年始鋳
弘光通宝
1645年始鋳
大明通宝
背 師

1644年始鋳
大明通宝
背 戸
1644年始鋳
隆武通宝
背星

1645年始鋳
隆武通宝
背星
1645年始鋳
隆慶通宝

1570年始鋳
未収集
永暦通宝
1647年始鋳
永暦通宝
背工
1647年始鋳
永暦通宝
珍宝
1647年始鋳
天啓通宝
背十・一両

1621年始鋳
天啓通宝
背十
1621年始鋳
三藩銭
明末は各地で飢えた農民など多くの反乱が勃発。李自成も反乱に乗じて頭角を現した。李自成軍は軍律が厳しく略奪や虐殺を禁止したため、人心を集めた。
また知識階級を集め、各地で勝利を収め
を創立する。 明朝は満州族との戦いで北京の防備が手薄になり、李自成は北京へ出兵して占領し、明を滅ぼした。
その後、
呉三桂を討伐に向かった山海関の戦闘で、満州族(清軍が参戦しこれに破れた李自成は山中で自害をした。
呉三桂の先導で清軍は山海関を越え、帝都北京を占領する。その後、清は中華帝国であることを宣言している。 しかし、満州族の支配に反対する人々が明朝の皇族を担ぎ挙げ、南部各地で暫定政府を樹立した。清軍はこの南朝討伐戦に投降した漢人部隊を主力として用い、勝利を収める。
このときに活躍した
耿仲明尚可喜、そして呉三桂にそれぞれ広大な領土と王位を与えてその功をねぎらった。世に
藩王と言う。
その後
三藩は反乱を起こすも、清朝二代康熙帝によって鎮圧され9年に渡った三藩の乱は終焉した。
大順通宝
背工

張獻忠
永昌通宝
李自成
裕民通宝
耿精忠
光弘通宝
光弘通宝
昭武通宝
呉三桂
洪化通宝
呉世播
洪化通宝
呉世播
利用通宝
呉三桂
利用通宝
呉三桂
興朝通宝 工
孫可望
興朝通宝 五厘
孫可望
興朝通宝 壱分
孫可望
興朝通宝 壱分
孫可望