| 明 |
元末、各地で蜂起した反乱軍の一人であった朱元璋は、次第に頭角を現し、張士誠や陳友諒などの群雄を倒し中国南部を平定すると皇帝を名乗り、
年号を洪武とし明王朝を開く。洪武帝(朱元璋)は、モンゴル文化を排除し中華文化を復活させ元軍を北の地に追いやる。
その後 四川、雲南、甘粛を平定し中国全土の統一を成し遂げ、後を継いだ洪武帝の長男建文帝は、強大な藩王らの勢力削減策を強行してゆく。
しかし、それに反発した燕王(洪武帝の4男)は、功臣なく弱体化した建文帝軍を撃破、南京を攻略し皇位を勝ち取り永楽帝として即位する。
永楽帝は、都を南京から北京に遷する。 日本は明と勘合貿易はじめ多くの明銭が国内に流入をした。 |
大中通宝
重点通
1361年始鋳 |
大中通宝
単点通
1361年始鋳 |
永楽通宝
1403年始鋳 |
永楽通宝
1403年始鋳 |
宣徳通宝
1433年始鋳 |
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洪武通宝
背福
1368年始鋳 |
洪武通宝
背北平
1368年始鋳 |
崇禎通宝
背貴
1628年始鋳 |
崇禎通宝
背星
1628年始鋳 |
崇禎通宝
背戸さんずい付
1628年始鋳 |
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崇禎通宝
背下戸
1628年始鋳 |
天啓通宝
1621年始鋳 |
天啓通宝
1621年始鋳 |
天啓通宝
1621年始鋳 |
泰昌通宝
1621年始鋳 |
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嘉靖通宝
1528年始鋳 |
隆慶通宝
1570年始鋳 |
弘光通宝
1645年始鋳 |
弘光通宝
1645年始鋳 |
弘光通宝
1645年始鋳 |
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大明通宝
背 師
1644年始鋳 |
大明通宝
背 戸
1644年始鋳 |
隆武通宝
背星
1645年始鋳 |
隆武通宝
背星
1645年始鋳 |
隆慶通宝
1570年始鋳 |
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未収集 |
永暦通宝
1647年始鋳 |
永暦通宝
背工
1647年始鋳 |
永暦通宝
珍宝
1647年始鋳 |
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天啓通宝
背十・一両
1621年始鋳 |
天啓通宝
背十
1621年始鋳 |
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| 三藩銭 |
明末は各地で飢えた農民など多くの反乱が勃発。李自成も反乱に乗じて頭角を現した。李自成軍は軍律が厳しく略奪や虐殺を禁止したため、人心を集めた。
また知識階級を集め、各地で勝利を収め順を創立する。 明朝は満州族との戦いで北京の防備が手薄になり、李自成は北京へ出兵して占領し、明を滅ぼした。
その後、呉三桂を討伐に向かった山海関の戦闘で、満州族(清軍)が参戦しこれに破れた李自成は山中で自害をした。 |
呉三桂の先導で清軍は山海関を越え、帝都北京を占領する。その後、清は中華帝国であることを宣言している。
しかし、満州族の支配に反対する人々が明朝の皇族を担ぎ挙げ、南部各地で暫定政府を樹立した。清軍はこの南朝討伐戦に投降した漢人部隊を主力として用い、勝利を収める。
このときに活躍した耿仲明、尚可喜、そして呉三桂にそれぞれ広大な領土と王位を与えてその功をねぎらった。世に藩王と言う。
その後三藩は反乱を起こすも、清朝二代康熙帝によって鎮圧され9年に渡った三藩の乱は終焉した。 |
大順通宝
背工
張獻忠 |
永昌通宝
李自成 |
裕民通宝
耿精忠 |
光弘通宝
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光弘通宝
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昭武通宝
呉三桂 |
洪化通宝
呉世播 |
洪化通宝
呉世播 |
利用通宝
呉三桂 |
利用通宝
呉三桂 |
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興朝通宝 工
孫可望 |
興朝通宝 五厘
孫可望 |
興朝通宝 壱分
孫可望 |
興朝通宝 壱分
孫可望 |
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